傘の歴史とは?傘の起源や進化の過程についてご紹介

私たちの暮らしの中に当たり前にある「傘」。普段何気なく使っているアイテムですが、その歴史はご存知ですか?実は、傘にはとても長い歴史があるのです。今回は、傘の起源や日本における普及や進化の過程などを中心に傘の歴史をご紹介します。




世界から見る傘の歴史

実は、とても長い歴史をもつ傘。その起源はいつで、これまでどのような変化をしてきたのでしょうか。

傘の起源はいつ?

傘が描かれてる資料傘の歴史を辿るにあたって、まずはいつ頃からあるのか見ていきましょう。
なんと、傘の起源はおよそ4000年前に遡ると言われています。古代ギリシャ、エジプトなどの王族、貴族といった高貴な人用の「日よけ」として使われていました。壁画にも描かれており、思い浮かべた方もいらっしゃるでしょう。当時の用途は、日よけのみで、今のように雨をしのぐ用途や開閉機能もなかったようです。


傘の様式の変化

傘の整列写真傘が生まれた当初は、開閉や雨具としての機能はありませんでした。では、いつ頃からどのような様式の変化が起こったのでしょうか。
まず登場したのは、開閉式の傘(日傘)です。これは13世紀のイタリアで誕生したと言われ、当時からしても実に画期的な発明だったことが伺えますね。その後、ヨーロッパ各地へと広がり、貴婦人たちに愛用されるようになりました。
雨具としての使用は16世紀頃からと言われていますが、普及のきっかけは18世紀のようです。特に、イギリスにおいて、現在の開閉構造の日傘が生まれたことと、ジョナス・ハンウェイという男性の存在が大きいでしょう。
彼は、「雨避け」として傘を差しながらロンドンの街を歩きました。当時、傘といえばまだまだ日傘が多く、使用する人も貴婦人といった女性がメイン層でした。そのため、初めは受け入れられなかったようですが、次第に男女問わず雨具として使用されるようになったと言われています。その後、1928年にはドイツで折りたたみ傘が登場するなど、時代の流れとともに変化をしていきました。



日本における「かさ」の登場

晴雨兼用傘絵おり大バラベージュそれでは、日本において「かさ」はいつ頃から登場し、どのような変遷を辿ったのでしょうか。長柄のついた「傘」と頭にかぶる「笠」の観点から見ていきたいと思います。


日本書紀から見る「かさ」

日本書紀(720年完成)によると、6世紀半ばに百済(中国)から仏教が伝来し、仏具の「傘」が献上されたとの記録が残っています。その形状は、天蓋式で閉じることはできず、重量もあったようです。仏具という側面からも儀式などの限られた用途で使用されたものと考えられています。「笠」は、笠をかぶった埴輪の存在が記載されており、少なくともこの時代においては2つの「かさ」の存在があったことがわかります。

中国からの影響という観点においては、漢字もひとつの代表例ですよね。「傘の意味とは?傘の語源や漢字の成り立ちとともにご紹介」では、「傘」という漢字の成り立ちをはじめ、語源などをご紹介しています。歴史と同じく、当時の様子を伺い知ることができますので、ぜひ併せてご覧ください!

和傘の発展

和傘仏教の伝来を経て、平安時代には和傘が登場したといわれています。特に平安時代以降になると、製紙などの技術が向上したことにより発展を見せます。
和傘は、和紙に油や渋柿を塗って防水性を持たせ、骨組みなどは竹や木から作られます。数十本という骨の多さも特徴的ですよね。「番傘」や「蛇の目傘」はみなさん思い浮かべやすいはず。「番傘」は、骨太の枠組みで無地の和紙を張ったシンプルな傘です。江戸時代からは庶民の間でも広く使用されました。「蛇の目傘」は、細い骨組みで、持ち手は黒い漆が塗られています。傘の中心部を白、周りを黒や赤などで縁取った華やかな傘で、呼び方はその模様が蛇の目に見えることに由来します。
ほかにも、いくつかの種類があり、技術の進歩とともに和傘は独自の発展を遂げていきました。




日本における「洋傘」の登場と普及の歴史

国内で独自の発展を遂げた和傘に対し、江戸時代になると貿易によって「(西)洋傘」が渡来しました。ここからは、この「洋傘」の登場が生活にどのような影響を及ぼし、普及していったのかを辿っていきます。

きっかけは1800年代

日本における「洋傘」の登場は、貿易によってもたらされました。1804年の長崎入港の中国船に「黄どんす傘一本」との記述があります。これが、洋傘が渡来したとわかる最古の記録とされています。とはいえ、持ち込まれた当初の洋傘はとても高価で、武家や医師など、一部の限られた人たちしか使うことができませんでした。しかし、1854年になると、ペリーの来航によって、多くの日本人が初めて洋傘を目にすることになります。すると国内での注目度が高まり、本格的な洋傘の輸入に繋がったそうです。

明治時代に入ると、徐々に庶民の間にも広がりを見せ始めます。1868年(明治元年)に刊行された『武江年表』には「庶民にも洋傘が普及しはじめた」との記載があり、引き続き、国内での洋傘に対する関心の高さが伺えますね。さらに、1869年頃には国産の洋傘が作られるようになったそう。こうした状況のなか、手が届く価格帯の国産洋傘の登場は、普及の大きな一助となったことでしょう。

槙田商店のある山梨県の郡内地方においては、1875年には平絹で洋傘地の試織をスタート。1899年には、郡内初のジャカード織洋傘が誕生しました。こうして見てみると、この産地に限定しても実に120年以上の歴史があることがわかります。
こうした先人たちの挑戦を経て、現在ではさまざまな色柄の美しいジャカード織洋傘が、日々作り出されています。槙田商店でも、婦人傘、紳士傘ともに豊富な種類の傘をご用意しております。一覧もございますので、ぜひご覧ください。

婦人傘一覧
紳士傘一覧




時代の流れと「洋傘」の変化

洋傘を差している資料洋傘は、その形状や機能性、評価のされ方など、時代の流れとともに少しずつ変化していきます。
文明開化や大正ロマンに代表されるように、開国と貿易によってもたらされた西洋文化は、服装や生活にとても大きな影響を与えました。こうした流れのなか、明治時代以降では、実用性だけでなく、ファッションアイテムとしても評価され始めます。時代は違えども、同じように傘を楽しんでいたかと思うと、親しみが湧きますね。

形状や機能性の面では、昭和時代に入った1928年頃に折りたたみ傘(ドイツ)、1960年頃にワンタッチで開くジャンプ傘が登場しました。1964年には東京オリンピックがきっかけとなり、ビニール傘が世界的な認知度を得ます。(ビニール傘自体は、昭和30年代に浅草の老舗傘メーカーが開発しましたが、当時はあまりの斬新さにすぐには受け入れてもらえなかったようです。)こうして、各地でさまざまな進化を見せ、1964年に洋傘業界は最盛期を迎えました。
平成初期に起こったオイルショックやバブル崩壊によって、廃業を余儀なくされた会社も現実として多くありますが、その一方で、骨組みの素材や機能性をはじめ、今なお進化の歩みを続けています。

傘製造のパーツ
こうした進化の歩みは、傘のパーツひとつひとつからも見ることができます。「傘の柄など傘の部位の名称を解説」では、パーツ名からその役割、素材などについて解説をしています。
普段お使いいただく中で、なかなか細かな名称を知る機会も少ないかと思います。ぜひ、傘の歴史と併せてご覧ください。

また、時代の流れの中で誕生した折りたたみ傘やジャンプ傘など、槙田商店でも取り扱っております。それぞれの一覧がございますので、ぜひ活用ください。

婦人折りたたみ傘一覧
紳士折りたたみ傘一覧
ジャンプ傘一覧



晴雨兼用傘星降る森今回は、世界と日本のそれぞれから見る傘の歴史をご紹介してきました。
時代の流れとともに、傘には少しずつ機能性や用途が加わり、さまざまなタイプ・様式が存在します。たとえば、「日傘」と「雨傘」。今では当たり前となりましたが、どのような傘のことを言い、具体的にはどのような違いがあるのか、傘の歴史を踏まえた上で知るのも面白いかもしれませんね。「雨傘と日傘の違いとは?代用はできる?傘の違いや特徴を解説します」では、それぞれの違いを中心に、代用できるのかといった疑問も解説しています。

日傘菜シリーズ

また、もともとは日よけの用途のみだった日傘ですが、現在では紫外線対策やファッションアイテムとしても重要な役割を果たしてくれています。「日傘はいつからいつまで使うのが効果的?紫外線の特徴とともに解説」では日傘による紫外線対策について、「日傘は何色がいい?おすすめの日傘と選び方を解説」では色を中心にしたおすすめの日傘について解説しています。ぜひ併せてご覧ください。


先人たちの知恵や発明が、進化とともに今日まで続き、私たちの生活に利便性と彩りを添えてくれていることがわかりましたね。こうした歴史を知ることで、より愛着を持ってお使いいただけるかと思います。
槙田商店の傘は、職人による修理も承っておりますので、長く大切に使いたい方も安心してお求めいただいております。みなさまにとって特別な傘と出会うお手伝いができれば幸いです。

傘の修理について
婦人傘一覧
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執筆者

Watanabe

文系大学で学んだ経験から、主に広報業務を担当。言葉の力で槙田商店の強み、織物の魅力を発信している。傘の製造部をはじめ、社員の多くに取材をしたことや、実物に触れる機会の多さを活かし、記事などを執筆している。好きなシリーズは「こもれび」。